今回は小林多喜二さんの話です。
1903年に秋田で生まれ
北海道小樽で育ちました。
『蟹工船』で知られる、昭和初期の作家です。
作中で当時の特別高等警察の拷問の描写により特別高等警察の憤怒を買い
憲兵に逮捕されました。
刑務所での多喜二は
わずか2畳の狭い部屋に入れられていました。
日に日にやつれ
目は腫れ、頭も剃られて
とてもひどい状態だったようです。
面会での会話
そんな中、一度だけ、
母親に面会が許されることがありました。
多喜二のいる刑務所は東京。
母親は北海道から
貧乏のどん底にもかかわらず、
近所からなんとかお金を借りて、
往復の汽車賃だけ持って東京に向かいます。
冬で、雪の降るなか、
何度か汽車が止まるたびに
駅員が止めるのも聞かず
次の駅まで汽車を乗り換えるなどして
なんとか当日、面会時間に間に合いました。
面会時間はたったの5分間。
その間、
多喜二はただひたすらに『お母さんごめんなさい』
床に頭をつけて謝るばかりでした。
憲兵に耳を持たれて上げされられたその顔は
母親でもわからないほどに変わりはてていたそうです。
『多喜二か?』と聞かれ
『はい!多喜二です!ごめんなさい!』
と答えたその瞬間に
滝のような涙を流したそうです。
その後、母親は
『お前の描いたものは一つも間違っておらん!
お母ちゃんはお前を信じとるよー!』
と言い続け、
雪の降るきた道を帰って行ったそうです。
その後、多喜二は、いったん釈放されますが、また捕まり、
悲しくも獄中にて拷問を受けたことが理由で亡くなります。
その死の瀬戸際、
多喜二を
さらに憲兵が鞭で叩こうとすると、
最後の力を振り絞るように
こう言ったそうです。
『待ってください。』
『もうあなたが鞭で叩かなくても私は死にます。
この数ヶ月あなた方は寄ってたかって私を地獄へ落とそうとしましたが、
私は地獄へ落ちません。』
『なぜなら、母がお前の描いた小説は一つも間違っていないと私を信じてくれたから
』
『昔から、母親に信じてもらった人間は必ず、天国へ行くという言い伝えがあります。
母は私の太陽です。その母が、この私を信じてくれた。だから私は天国に行きます』
そう言い切って、最後の力を使ってニッコリ笑ってこの世を去ったのだそうです。
この話には補足があり、
なんと多喜二の母親は文字を読めなかったのだそうです。
僕はびっくりしたのですが、
少しして心から納得しました。
そうですよね。。。。
内容なんて関係なかったんですね。
母親にとっては。
『自分が命をかけて育て愛した子供が作ったものなんだから間違ってることはない』
と疑わなかったのでしょう。
母親という存在
今からそんなに昔の話ではない
「小林多喜二さんと母親の話」ですが、
僕にとって、この話は
普段忘れてしまっている
今は亡き母親を思い出させてくれる話です。
そして
自分の尊さを思い出し
生きる強さが湧いてくるものです。
昔から
母親というものは
子供にとって、太陽そのものだと思います。
母親が家でニコニコしてるだけで子供は幸せな気持ちになります。
(これは旦那さんもそうですね)
そして普段どんなに優しい母親でも
子供のためともなると
とんでもない力をも発揮しますね。
その愛を感じるから、知っているから
子供は安心して育ち、大人になってからもその気持ちを胸に携えているから
自分を信じて生きていくことができるのだと思います。
多喜二は死ぬ前に、
母親から一言 『信じているよ』
という「最上級のプレゼント」をもらったからこそ
地獄のような辛い現実の最後の最後に
ニッコリ笑えたのでしょうね。
最後までありがとうございました。
参考文献
日本のこころの教育 著者:境野勝悟
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