歌舞伎にもなった、感謝の達人のとんでもないプレゼント
僕が大尊敬する人物から聞いた「実話」なのですが
この話はとにかく今までで一番くらい
インパクトのあった
プレゼントの話でした。
それでは。。。
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昔、
塩原太助(しおばら・たすけ)という人がいました。
江戸時代の1743年2月26日生まれの
実在の人物です。
塩原家の長男で
後継ぎでした。
が、実の父親に後妻ができ、
その後妻さんに男子が生まれるのです。
そこからは、後妻、太助さんの継母は、
太助さんのことが邪魔になったのですね。
何度も、
その継母から太助さんは殺されそうになるんです。
このまままだと殺されてしまうということで
泣く泣く家を出ます。
そんなある日、
太助さん、ほとほと絶望したのでしょう
川に飛びこんで死のうとするのですが
ちょうど、
そこに
通りかかった男性が太助さんに声をかけます。
事情を話す
太助さんに対し、
その男性は
「それなら、
うちに来て働きなさい」と
連れられて行った先は、
その男性が営む炭屋さんでした。
太助さんは、そこの店に
(すでに結構な年になっていましたが)
奉公人として働きだしました。
真面目で働き者、さらにアイデアマンだった
太助さんは
ある日、
お米をつぶして、お水でといてノリを作り
それを使って木炭を切り分けるときに出る粉を
ノリにかららめて、
すごく燃えるものを作り上げました。
それを、
お客さんにサービスでプレゼントしていました。
元々捨てるものを集めて作ったものですが
それがお客さんたちにとてもウケたのです。
そんなこんなで、
またたく間にお客様がふえ続けて行き、
やがて太助さんは独立、
もちろんそのまま大成功しました。
その後、太助さんは
何をしたかというと、なんと
『自分を殺そうとした母親に
いちばん最初に
「 家 」をプレゼントした』のです。
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これは本当にビックリしました。。。
大成功を収めたその当時の太助さんにとっては
確かに
家を建ててあげることは容易かったようですが、
自分をいじめた継母に家をプレゼントしたのです。
それはなぜか?
「あの母親がいなかったら、
自分はこんな成功はなかったから」
ということだったのだそうです。
根底にこの考え方があったからこそ
太助さんは豪商と呼ばれるほどの成功を
おさめたんですね。
恩返し?!
いやいや
普通の人なら
とても 「 恩 」とは思えない、
自分の母親の行為に対して
これまたスケールの凄いプレゼントです。
こんな人がいたんですね。。。本当に凄い人です。。。
僕は
この実話ほど
インパクトを受けた話は
ありませんでした。。。
ちなみに
この実話をモデルにした
「塩原多助一代記」は
歌舞伎でも上演されたそうで
その本は12万部という
驚異的なベストセラーになったそうです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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